時の刻みは私の心中とは無関係に過ぎ去り、岩崎と約束した土曜が訪れました。それは私達夫婦にとって、互いに別々の場所から相手を想う切ない一日でもあるのです。
由香里と岩崎は、私鉄沿線の駅の近くで待ち合わせをしています。以前、彼はその近くに住んでいたらしく、懐かしいバーがあるから由香里に紹介したいとのことでした。
二人は暫く一緒の時間を過ごしてから、予約してあるホテルへ入る予定です。
由香里は泊まらず、夜遅く家に帰ります。妻が泊まるか否かについて、私は彼女自身に決めさせました。
妻は、岩崎と二人だけで一夜を過ごすことに対して、少なからず不安を感じているのでしょうか。それとも、独りで妻を待つ私への気遣いなのでしょうか。
私の手から離れた由香里が、男と二人だけの場所で愛し合うことへの葛藤と嫉妬は、日ごとにその深みを増します。一方、それとは真逆に、言葉に置き換えることの出来ない胸の昂ぶりが心の中を幾度も交錯したのです。
私だけでなく由香里自身も、様々な迷いと期待を秘めて今日までの時を過ごしたのでしょう。彼女は昼頃から時折ひとりで寝室に入り、音を立てずに少しづつ今夜の準備をしていました。夫に対する彼女の後ろめたさが、岩崎と逢う支度を見せまいとしているのでしょう。
しかし私は、普通の妻を装う由香里が、体の奥にある欲望の種火に苛まれ続けていることを知っていました。真夜中に何度か寝返りをうち、その度に微かな溜息を漏らしているのを聞いていたのです。
私は傍らで眠るふりをしながら、妻が秘かに自慰に救いを求める姿を待ち続けました。
先日、私に気付かれぬように息を潜め、自らを慰める彼女の切なさに魅せられたことだけが理由ではありません。抑えきれない性の欲望に苛まれる儚い妻の側で、自分自身を慰めたかったのです。
結局、その理不尽な望みは叶えられませんでした。しかし、私が付けた欲望の種火が由香里の中に残っていることは間違いありません。私は、身勝手な情愛が彼女に与えた罪深い仕打ちに心を昂らせながら、隠れて身支度をする妻を慈しんだのです。
これまでに私は二度、岩崎に寝取られる由香里の傍らで夜を過ごしています。
他人と結ばれる妻の姿を目の前にし、身が震える恍惚に浸った私であっても、寝取られる夜の辛さに変わりはありません。
妻が男と交じわり合うことによって、彼女の美しさが深みと彩りを増すと信じていても、胸が張り裂けそうな切なさは私を苛み続けるのです。
今夜、私のいない場所で二人が愛し合うことが、これ程までに狂おしいことだなんて…
傍らでその姿を見つめる以上に、独りで待つ仕打ちが残酷だなんて…
夫として妻を想い、ひたすら彼女の帰りを待ち続けることへの覚悟が、今になってもまだ揺らぎ続ける自分自身に苛立ちと焦燥がつのります。
私は胸の詰まる空間から逃れるように、由香里を家に残したまま一人で近くのカフェに行きました。
窓際の席に座り、今夜の準備をしている妻を想いながら外を眺めていると、私と同じ年頃の夫婦が楽し気に店の前を通り過ぎていきます。二人の笑顔は、互いに満ち足りた生活を送る幸せに包まれていました。
他人の夫婦と比べることに何の意味もないことを判っていながら、私達にとって二度と戻らぬ過去を見せつけられる辛さが込み上げます。
あの二人には決して受け入れることの出来ない私達夫婦の関係…
他人と愛し合い、精を注がれる妻の美しさを知らぬまま過ごすだけの夫婦生活…
それが私の本心なのか、心からそう思えるのかは、自分自身に対するあまりに冷酷な問いかけなのかも知れません。
私は岩崎にメールを送りました。
― 今夜、由香里をよろしくお願いします。
― 避妊の約束だけは、どうか絶対に守って下さい。
愛する妻の体を抱く男に宛てたメールは、他人の子種による妊娠から逃れるための哀願でした。
― 川島さん、もちろん判っています
― でも、もし由香里さんが中に欲しいと言ったら
― どうしましょうか
返信されたメールは、私の目を疑うような内容でした。今まで岩崎は私を弄ぶような態度を取ったことはありません。
私が慌てて返事を打ち込もうとしたとき、彼から再びメールが届いたのです。
― 先程のメールで気を悪くされたら謝ります
― 由香里さんがそのようなことを望む筈がありません
― でも、その可能性が僅かでもあると心配されるなら、
― それもまた寝取られる葛藤の中で味わう悦びです
― 川島さんなら、もうすぐ判る筈です
自信に満ちたその文面は、私の心を不快にするよりも、彼に対する歪な劣等感を呼び覚ますものでした。
言い表すことの出来ない無力感と屈辱を抱えながらも、それでも岩崎が決して私を蔑んでいるわけではないことを知っています。
私の性癖を理解し、その願いを叶えるための道筋を教え導いてくれたのは彼であり、由香里の理性を大切にしながら解きほぐしたのも彼なのです。
今の私にとって、自分の願望と想いを正直に告白出来るのは岩崎しかいません。彼の呪縛は私達夫婦にとって、欠くことの出来ない必要悪となっていたのです。
由香里が出かけてしまう前に、もう一度彼女の姿を見たい…
私は店を出ると、足早に家へと向かいました。
由香里にしてみれば、他人の一夜妻として出かける姿を見られたくはない筈です。私はそれを知りながら、せめてもの慰めを妻に求めていたのかも知れません。
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