私は夕方6時過ぎに仕事を終わらせ、すぐに会社を出ました。まだ仕事は残っていましたが、今日中に終わらせなくても構わないものは全て明日にまわしたのです。とても仕事が手に着くような心の状態ではありませんでした。
駅で電車から降り、人混みに逆らうように足早に歩きながら約束の場所に向かいました。岩崎と会う喫茶店に着いたのは、時間より30分も前でした。
周りに客の少ない奥のテーブル席に座り、コーヒーを注文して岩崎を待ちました。
彼が現れたのは、コーヒーを飲み終えてすぐ、8時を5分くらい過ぎてからです。
仕立ての良さそうな濃紺のジャケットを着た姿は、初対面の時の黒シャツ姿とは別人のようにさえ思えます。
「すみません、少し遅くなりました。今の時期は有り難いことに意外と忙しいんですよ」
「いえ、私の方こそ。忙しいのに時間を開けてくれて有り難うございます」
岩崎は気にしないでくれと手を動かしながら、店員に私と同じコーヒーを注文しました。
「川島さんはもう飲んでしまったんだ。じゃあ、割と早めに来られたんですね」
岩崎は私の前に置かれたカップを見ると、私の分も追加で注文しました。
店員が奥に戻ったことを確かめると、急に岩崎は身を乗り出し、低く抑えた声で耳打ちするように話し出しました。
「実は、川島さんは奥さんにまだ告白していないと思っていました。だから今日、電話があったときは少し驚いたんです。」
「どこまで私の気持ちが伝わったかは自信ありませんが、承諾はしてくれました」
「判ります、私も女房に夫婦交換の話を初めてした時は、自分でも何を言っているのか支離滅裂でしたから」
岩崎の言葉に、私は少し驚きました。初めて会った時に、独身だと聞いていたからです。
「え? 岩崎さんは独身だったんじゃ…」
「女房と別れる前のことですよ。私はバツイチですから」
笑いながら答える岩崎の目を、私は思わず凝視してしまいました。
別れた?… なぜ?
「安心して下さい、夫婦交換が原因じゃないですから」
私の中によぎった一瞬の不安を言い当てるかのように、岩崎は笑いを浮かべながら答えました。
「そうですか… 再婚はしないんですか? 岩崎さんなら女性からもてそうな感じですし…」
「再婚は考えてません。その分、他の人の奥さんを抱いていますから…」
そこまで言いかけると、急に岩崎の顔から笑みが消えたのです。
「川島さん… あなた自身は大丈夫ですよね、本当に私が奥さんの相手をしてよろしいですね…」
その言葉は、岩崎から私への最後通告のように聞こえました。
元に戻るか、前に進むかの境界線の上にいるのです。私に迷いはありませんでした。
「はい、先日も言いましたとおり、相手は岩崎さんに決めています。妻を… 好きなように抱いて下さい…」
岩崎は無言のまま私を見ると、小さく頷きました。
「判りました。じやあ… 細かい段取りを決めましょう」
「何から決めればいいのか… こんなことは初めてなので、正直、判らないんです…」
全てを岩崎に委ねるつもりはありませんでした。しかし、具体的なことになると、闇の中にあるものを捜すかのように先が見えなくなってしまうのです。
岩崎は周りを見返し、近くに誰もいないことを確かめました。
「例えば… 避妊はどうしますか? 奥さんの中に… 出してもいいですか?」
私は思わず「えっ」という声を洩らしました。
今までの日常の中では、他人からそんな問いかけを受けるなど想像すら出来ないことです。
しかし、これから自分が進む先にあるのは、今の問いも現実のこととして有りうる世界であることを思い知らされた気がしました。
突然のことに答えが詰まり、動揺した視線を岩崎から反らしました。
「失礼しました、わざと意地の悪い質問をしました。気を悪くしないでください。そのこと自体は、実際に奥様を抱かせていただく時に確認すればいいことです」
岩崎は言葉を続けました。
「ですが、これから具体的に段取りを決めていく上で、人によってはそんなことも前もって確認したりすることもあります。他人に口に出来ない願望を実行する段取りですから」
「先程の質問も、実際には相手の御夫婦からの御願い事だったりすることもあります」
暫らくの沈黙の後、岩崎は煙草に火を付け、深く吸い込みました。
「川島さんから私への要望があれば、遠慮なく打ち明けて下さい。恥ずかしいことでも構いませんから」
私は、いつの間にか目の前に置かれた2杯目のコーヒーに口を付けながら、心の平静を取り戻そうとしました。
妻に対して、岩崎にして欲しいこと…
あるいは、妻が相手である岩崎に対して、望むであろうこと…
見えない先に広がる世界への答えが見つからない私は、岩崎の経験に頼るほかありません。
そこには、妄想の中では生じ得ない、現実のリアリズムがあったのです。
私は、彼が差し出す選択肢の中から、行く先を決めることにしました。
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